トピックスではいろいろな情報を掲載します

拓友会報第82号(令和8年5月号)を発行しました

主な内容》

☆ 記事(令和8年度定時総会開催)

☆ 会長挨拶(檜森聖一会長)

☆ 寄稿(利尻島の思い出=故郷に思いをはせて=) ……… 田代 和男さん

☆ 寄稿(大阪関西万博見学と六甲山縦走登山の紀行) …… 伊藤 善紀さん

☆ 寄稿(私の趣味~読書について~)  …………………… 宮前 匡雄さん

☆ 寄稿(勤務先での誕生日祝い ) 佐藤 彰洋さん

☆ 寄稿(足澤聡著「仕訳で読み解く粉飾のメカニズム」

            のご紹介 ) …………………… 蜂須賀 和夫さん 

☆ 寄稿(「コロナ禍」の日々)  新井 哲仁さん

☆ 寄稿(漂流するキャリア

     =拓銀の4年間が築いたキャリアアンカー=)… 佐藤 仁さん 

☆ 会員だより …………………………………………………… 延31名の会員

☆ 記事(訃報、新入会員紹介、穂多木神社例祭ご案内) 

河谷禎昌元頭取に関する朝日新聞記事

 拓銀最後の頭取となった河谷禎昌さんは、昨令和7年12月13日逝去されましたが、令和8年1月17日朝日新聞に関連記事が掲載されました。

 下記がその掲載記事です。

河谷禎昌元頭取逝去

拓銀破綻時の頭取だった河谷禎昌さんが、令和71213日逝去されました。追加融資を巡る特別背任罪に問われ、後年有罪が確定、破綻責任を一身に背負うかのように服役までされた労苦は、想像を絶するものがあります。 

謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

下記は北海道新聞に掲載された記事です。

穂多木神社に関する北海道新聞記事

穂多木神社は、昭和13年、拓銀の守護神として本店内に建立され、後に北海道神宮の前身である札幌神社に遷座されて以降、北海道神宮にお守り頂き現在に至っています。 令和6年2月、お社の屋根が落雪のため破損したため、管理する北海道神宮において同年10月までに修繕されましたが、その配慮に報いるため、拓友会が中心となって関係者に奉賛金を募り、翌令和7年4月北海道神宮に寄進しています。

このお社の破損・修繕の経緯、それに対する拓銀OB側の寄進計画は、修繕直後の令和6年11月にも北海道新聞に記事が掲載されていますが、令和7年9月30日、再び同新聞に記事が掲載されました。 記事は、星野尚夫奉賛会代表世話人、檜森聖一拓友会長に取材する形で、穂多木神社の由来・歴史、奉賛会結果、拓銀OB間の絆などを紹介する内容になっています。

令和7年穂多木神社例祭厳かに挙行

令和7年穂多木神社例祭が、615日(日)午後130分から北海道神宮主催により厳かに挙行されました。

 当日は、真夏の日差しを感じさせる快晴の下、開催中の北海道神宮例祭(札幌祭り)の中日で、境内には多くの露店が立ち並び、日曜日ということもあって、祭りを楽しむ方々や多くの神宮参拝者が遠巻きに見守る中、ご遺族・OB10数名が参列のもと、神職による修祓と祝詞奏上、巫女による神楽等が行われました。また、神職に続き参列者が玉串を奉奠し、先輩の遺徳を偲びました。

 式典の終りには、昨年落雪により破損したお社の修繕に関連して、北海道神宮に奉賛金を寄進したことに対して、神職から丁重な謝辞がありました。

その後、神社側から参列者にお神酒と撤饌(六花亭の焼菓子)が振る舞われ散会となりました。

 

尚、奉賛会事業については、4月以降の寄付金などの残余金を、本例祭の玉串料として奉納したことを以って、閉会しました。

穂多木神社奉賛会事業結果ならびに北海道神宮への寄進報告について

穂多木神社は昭和13年、拓銀の守護神として本店内に建立された後、昭和25年北海道神宮の前身である札幌神社に遷座され、以降北海道神宮にお守り頂き現在に至っています。

令和62月、その穂多木神社お社の屋根が落雪により破損、北海道神宮において、御霊を一時的に開拓神社に遷座の上、修繕を進め、工事完了後の同年1015日には、改めて御霊を穂多木神社にお遷り願う遷座祭が催行されました。

こうした経緯から、北海道神宮の配慮に報い、修繕費用の一部に充てるため、北海道神宮の責任役員を務める星野尚夫を代表世話人、拓友会会長檜森聖一を世話人とする表記奉賛会を立上げ、その事務局を拓友会が担う形で、奉賛金(寄付金)を募らせて頂きました。

その結果、拓友会のみならず、東京たくゆう会、函館旧友会など270名の皆様からご協力頂き、その奉賛金総額は、翌令和73月末迄に3百万円を超える金額となりました。その皆様からの善意は、同年415日、星野代表世話人、檜森世話人が北海道神宮を訪問の上、3百万円の目録を贈呈し、同時に振込により寄進致しました。

尚、残余金額については、諸経費を控除し、その後の寄付も含めた上、615日の例大祭への玉串料として奉納することとしました。

奉賛会は、それを以って、閉会する予定です。

以上、報告させて頂くと共に、ご協力頂いた皆様に心より御礼申し上げます。

 (穂多木神社奉賛会事務局)

写真右側から星野尚夫代表世話人、間島誉史秀北海道神宮宮司、檜森聖一世話人、

  寺田昇平拓友会事務局長

拓銀支店長からの温かい手紙

下記新聞記事は、令和6年9月28日の朝日新聞「声」欄に掲載されたものです。拓銀が本州進出に力を注いでいた頃の当該中野支店の熱心な仕事振りが伺われる内容で、同じく拓銀に籍を置いた者にとっては、大変嬉しくタイトル同様、温かい気持ちになる投稿です。

投稿者の年齢から、50数年前のことで、当時、既に使われていたかどうか分かりませんが、拓銀の「こまやかなおつきあい」というキャッチフレーズが思い出されます。 

穂多木神社に関して新聞記事が掲載されました

 令和6年2月の大雪の影響で社の屋根が損傷したことに関連し、管理する北海道神宮が費用負担し大規模修繕したこと、対して、拓銀OB会側がその恩返しで、関係者に奉賛金を募ることになったという内容の記事が、同年11月23日付北海道新聞に掲載されました。

                                     (画像をクリックすると拡大します)

メトロギャラリーへ展示

   細川さん 透明水彩画

 地下鉄東豊線月寒中央駅のメトロギャラリーで、細川昭さんの透明水彩画7点が展示されています。精力的に創作を続ける細川さんが朝里海岸で見た建屋等の風景をテーマにしています。展示期間は9月4日迄です。

                       (画像をクリックすると拡大します)

小野田儀信さんメレヨン島遺族会の記念誌を発行

 太平洋戦争中に多数の日本兵が戦没犠牲者となった南海の孤島メレヨン島。遺族会の代表を務める拓友会会員の小野田儀信さんが中心となって遺族会の記念誌を作成し、道新(6/19夕刊)にも掲載されました。(小野田さんは会報第57号(H30.1)にも「嗚呼メレヨン島」と題して当時の惨状・現地での収骨・慰霊の様子を寄稿されています)(画像をクリックすると拡大します。)

藻岩寮建物に別れ

 旧拓銀「藻岩寮」は売却後、入居型介護サービスの施設として利用されていましたが、この度保健・医療・福祉サービスを提供する札幌の医療法人に売却され、建物解体後に地域包括ケア施設が建設されることになりました。

 藻岩寮解体前に、旧拓銀行員などを対象として、建物内部を見学する機会があり、拓友会会員の斎藤克人さんから見学写真の提供を頂きました。

 藻岩寮で生活された拓友会会員の方は、付属設備も全て取り払われた内部写真ですが、往年の出来事を回想するきっかけになるのではないでしょうか。 

                     (画像をクリックすると拡大します。)

 

2018銀声会コンサート開催

    ~昭和と平成を振り返って~

 2018年の銀声会コンサートが、6月9日(土)18時から風薫り新緑の眩しい中島公園の札幌コンサートホールKitara小ホールで開催されました。

 現在の「銀声会」は、昭和23年に結成された「たくぎん銀声会」をルーツとしており、今年は結成70周年の記念の年となります。

 今回のステージでは、第1部はジョン・ラター作曲の混声3部合唱曲5曲の楽しい旋律をすっきりと表現し、第2部では日本の合唱曲のうち過去のコンサートで歌い団員がもう一度歌ってみたい「落葉松」など6曲を情感豊かに歌い上げ、第3部では過去のコンサートで披露したポピュラーソングの中から団員に人気のポピュラー合唱曲13曲で構成し、「愛の讃歌」「運がよけりゃ」「川の流れのように」など昭和と平成の名曲を歌い上げました。

 第3部のステージでは「踊り明かしたい」の曲をバックに、ダンサーの酒井香代子さんが華麗なバレエを披露しました。

 2曲のアンコール曲演奏の後、観客と一緒に「ふるさと」を合唱し、20時過ぎに閉幕となりました。

 今年は、485名の来場者を迎え、急遽予備席を20席用意する程の大盛況でした。「たくぎん銀声会」は平成10年に解散しましたが、平成13年に一般合唱団「銀声会」として再結成し、以来毎年継続してきたコンサートは今年で16回目となります。ここで一区切りをつけ、キタラでのコンサートは今回を最後にしたいとのことでした。

 団員の皆さん、これからもどこかで「銀声」のハーモニーを聞かせて下さい。 

                                     (画像をクリックすると拡大します)

 千坂直人さんの道新記事です 

会員の千坂さん親子の小樽商大同時入学について道新に報道されましたのでお知らせします。

                         (H30.4.4.道新朝刊23面)

懐かしの「たくちゃん貯金箱」勢ぞろい 

 かつて「たくぎん」が預金獲得のシンボルキャラクターとして店頭に飾り、顧客に配って人気を博した「たくちゃん貯金箱」。

 過ぎし日々の思い出に重ねて懐かしむ会員の方も多く、拓友会報にも佃悦子さん(第14号)・毛尾七平さん(第19号)・堀口自介さん(第30号)などから「たくちゃん貯金箱」にまつわる寄稿文をお寄せ頂いておりました。

 過日、会員の佐山善二さんから「野幌の北海道博物館(旧北海道開拓記念館)にたくちゃん貯金箱がフルセットで収蔵されており、一般公開はされていないが、拓友会などたくぎんOBなら特別に見学できると思う」との情報を頂き、特別観覧の許可を得て写真を撮影して来ましたのでご紹介致します。

 北海道博物館に収蔵されているたくちゃん貯金箱はたくぎん破綻時に本店史料室に保管されていたもので、たくぎんからの依頼で同博物館が「北海道の社会・文化変遷の貴重な史料」として引き受けたとの事です。

 たくちゃん貯金箱は昭和38年から同61年までの24年間にスポーツに挑戦・札幌オリンピック・乗物・帽子・音楽などのシリーズに分かれて合計47種類が制作されましたが、同博物館にはこれが全部が揃っており、かつ専ら店頭掲出のみだった「ジャンボサイズのたくちゃん貯金箱」も13種類あり、現在他ではお目にかかれそうもない「思い出のたくぎん遺産」と言えましょう。

 

 ※一昨年五月に会員の島田義夫さんから、旧北海道開拓記念館が北海道博物館として  再スタート時のたくぎん関連品の公開展示の情報を頂きましたが、事情により取材・会報掲載に至らず、失礼致しました。

 ※以下に掲載写真の「スポーツに挑戦…」シリーズでは、誌面の都合上たくぎん時代とはシリーズ名と人形の組合せを若干変更してあります。 

(① 上の写真の画面にマウスを当ててクリックすると大きな写真に切り替わり、シリーズ名・作成時期が表示されます。② 更にその画面で右上隅の全画面アイコン<四角形の四隅のマーク>をクリックすると最大サイズの写真となり、③ 左右の「」「」をクリックすると、前()()の写真に切り替わります。)